【お願い】
実は、望んでいることについての違い、その1のファイルが、
なぜか…消えてしまいました。がっくり…
もし、第14回、6月28日のその1をコピーでも
なさっている方がおられましたら、連絡いただけますと
助かります。よろしくお願い致します。
コチラまで→ mayu10080422@yahoo.co.jp
2週にわたって「望んでいることについての違い」を、
書いて来ましたが、5通ほどメールをいただきました。
どうも、ありがとうございます。
●ミントさん
人にしてあげた事に対して男女にたがわず、
見返りを強要してはいけないというのは頭で解っていても、
きっと心が許せないんでしょうね。
●さくちゃんさん
夫が何を望んでいるのか、よくわかりません。
聞いてみたいけど、怖いような気もします。
●VIVIさん
「求めない」気持ちが本当なのだと思うのですが、
でも、気が付かないところではきちんと計算できている
のかも知れません。
それって、とても汚れた感情なのかもしれませんね。
相手の心に栄養剤ではなく、爆弾になっているのかも
しれません。
(一部抜粋、許可をいただいて掲載しています)
メールに共通していたのは、
「見返りを求めてしまう気持ちがあること」
「相手の望み、欲求がよくわからない」ということでした。
今日はこのメールについて、答えてみたいと思います。
よろしければ参考にしてみてください。
■見返りを求めることについて
これは、仕方ないことなのではないでしょうか?
人間ですから、どうしても自分が何かをやったら、
「見返り」求めてしまいたくなります。
みんなが、マザーテレサさんのようではありませんし、
そんなに聖人ではありませんからね(笑)
大切なことは、今までは、何かをしてあげることが
仮に、
「100%近く、相手のためだ」と思っていたことを
「50%は自分のため、自分がしたいから」と自覚すること
なのではないでしょうか。
例えば、
「これが子どものためよ」「パートナーのためよ」
と思ってやってあげたことが、
本当に「子どものため」「パートナーのため」でしょうか?
本当は、自分がそれしかしたくなかったからではないですか?
本当は、自分がよく見られたいためにしたことではないですか?
相手のためと思ってやっていたけれど、実は
自分がやってあげたいと思っていた…、
やりたかった…、
自分のためだった…、
このことに気づくだけでも大部違うと思うのです。
気づくと、思ったような見返りが戻ってこなくても、
今までより、楽な気持ちで受け止めることが出来るのでは
ないでしょうか?
見返りを求める気持ちはなくならないけれど、
その強い気持ちが少しでも、やわらげば
それで、いいのではないか…と思いますが、いかがですか?
■相手の要求、望んでいることがわからない…
相手の欲求、望んでいることは、
面と向かって聞いてもなかなかわからないもの、
答えにくいもの、だと思われます。
でも、こんなことはありませんか?
友人から許可をもらったので、友人の例をあげたいと思います。
友人がパートナーの誕生日を前に、
「あなたの欲しいもの、して欲しいことって何?」と、
聞いてみたそうです。すると、
「洗面台を片づけてほしい」といわれたそうです。
「洗面台を見るたびに、うんざりするんだよ。
何かをするたびにおまえの化粧品を動かして…
いつも頼んでいるだろう、何とかしてくれ、それだけでいい」
友人がパートナーから期待していた答えは、
「どっか行きたい」とか「●●がほしい」という
ものでした。
そうしたら、それをかなえようと思っていたのです。
しかし、パートナーの答えは意外なものだったのです。
確かに友人は、よくパートナーに
「洗面台片づけてくれ」と言われていたそうです。
しかし、そんなことはパートナーの望みでなくて、
たいしたことではないと思っていたので、
気にもとめなかったと言います。
しかし、パートナーの望んでいることは、
「洗面台を片づけること」で、
パートナーはいつも、それを口に出していたのです。
友人は、それを
「何かの時にやったほうがいいことであって、
パートナーの欲求、望みではない」と思っていたのです。
つまり…そうです。
パートナー、あなたが愛する人達は、
「自分の本当の望み」を日々、口に出して
言っているかも知れないのです。
それは、些細なことかも知れません、
もしかしたら、耳の痛いことかもしれません。
そして、それはあなたが、
「これは望みではない、ちょっとしたこと」と
勝手に却下しているものかもしれないのです。
自分にとって些細で取るに足らないことが、
他の人にとってもそうだ、とは言えないのです。
もしかしたら、とても大切なことかも知れないのです。
あなたの聞きたい「望み、答え」だけが、
相手の「望み、答え」ではないのです。
自分が言った小さな望み、欲求が、毎日の中で
かなえられてこそ、次の望み、欲求が言えるのかも知れません。
言えば、わかってもらえる、かなえてもらえると
信じられるのかもしれません。
毎日の望みや欲求を、言ってもいつも無視されていたら、
次の望みも無視される可能性があるって思いませんか?
だから、もしかしたら、
「何を望んでいる?」と聞いてみるより、
パートナーのことばによく耳を傾けること、
日々口にしている小さな欲求を受け入れて、
それに応えるみることが、とても大切なのではないでしょうか?
余談ですが、この「洗面台の事例」は偶然にも、
「新聞は読めても心が読めない男たち」と言う本にも書いてあり、
洗面台をキレイにしておくことは、大事なのかも…
と私も注意するようになりました(笑)