ことば探し
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■「今日のことば」カレンダー 2019年1月■

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2019-01-31
モノの断捨離で見えてきたのは、
今の日本に生きている私たちが抱えている悩みの
ほとんど全部といっていいくらいのものが、
過剰な状態にその原因があることでした。
そして、それが不健康を引き起こしていたという事実です。

「心の不健康」にも、
このことをそのまま当てはめることができます。
あふれるモノが堆積した住まいで、心までも閉塞させている。
おびただしい情報で右往左往し、わずらわしい人間関係に
身を晒し、ストレスをため込む。

モノの情報も人間関係も、やって来たものすべてを
受け入れていたとしたら、そして手放すことなど考えもせず、
漫然と抱え込んでいるとしたら…
大変ですよね。
心が疲れ果てるのも、無理からぬこと。

過剰であるならば、引き算すればいい。
不足ならば足し算で解決できるのですが、現代社会は、
逆ですから、引き算の解決法を選択肢に入れていくのです。
2019-01-30
モノの断捨離で、「捨てられないんです」
という表現をする方がたくさんいます。
では、「なぜ捨てられないの?」と訊くと、
「まだ使えるから」や「思い出の品だから」
という答えが返ってきます。

「まだ使えるから」は、
未来の不安に脅かされているからであり、
「思い出の品だから」は、過去にとらわれているから。
「今のあなたに必要?」という問いかけには、
「今の私には必要ありません」と答えられるのに、
〝今〟という時間軸をはずしてしまうと、
思考があいまいになってしまうのですね。

過去の思い出にしがみついたり、未来への不安に備えて、
棚なリビングが混乱しているのだとすれば、
秤にかけてみればいいだけのこと。
今現在を使いやすく機能的にし、今の「要・適・快」を取るのか、
現在を犠牲にして、過去や未来を優先させるのか。(略)

「捨てられない」とは、自分で自分を責めているようで、
どこか、その責めから逃げているかのよう。
2019-01-29
脳は、たまたま夜中にラーメンを食べたからといって、
急に悪影響がでるほど軟弱ではありません。
脳を含めて人間の身体には、
「ホメオスタシス(恒常性)」という性質があります。
多少のダメージなら、ある程度リカバリーできるのです。

しかし、それが習慣化すると、
リカバリーが追いつかなくなって
少しずつ脳を変えてしまうのです。
だから肝心なのは、悪い食生活を習慣化しないこと。
逆によい食生活は習慣化させること。
この一点さえ守っていれば、
あまり神経質に考える必要はないのです。

これは、食生活に限った話ではありません。
生活全体において
「絶対に○○してはいけない」ということは、
あまり考えないほうがいい。
「ダメ」と言われればやりたくなるのが人間であり、
そのたびに落ち込むことになるからです。
そういう余計な気苦労は、まったく必要ありません。
自分自身に対しても、寛容の精神を持つことが必要だと思います。
2019-01-28
日々、何かをするとき、無意識に次に移るより
一度気持ちを切り替えると、風景が一段明るくなります。
明るい風景は、明るい場所へつながっていきます。

空気を変えるというのは、その場の人の意識を整え、
気持ちや、ものごと、関係が、いい流れになるように
整えていくことです。

多くのことがそうであるように、
止まってしまうと、そこが淀んでしまう。
土地も、場所も、時間も、人の気持ちも。
淀まないようにするには、
今日は今日だけということを思い出し、
気持ちや、自分自身を、整えることが必要なのです。

そんなふうに、
リセットし、またはじめることが、
日々をかろやかに快くしていきます。
「さあ、次へ」
そのひと言だけで、気持ちが変わります。
「さあ、次へ」。
2019-01-25
(石井)
私はセラピーをやってきましたが、
悩んでいるクライアントには共通点があって、それは、
「この世のどこかに正解があると思っている」
ということなのです。
「これは間違っているんじゃないか」とか
「どっちが正しいのか」と考えて袋小路に入ってしまう。

人間には、一人ひとりに個性があり、
一人ひとりにとっての幸せの形があります。また、
どんな人にも、その人に合った場所や役割があると思います。
誰だって他の人と同じ役割を果たすことはできない。
だからこそ、他の人と比べる必要はないし、自分自身が
どう生きるかは自分で決めればいいと考えています。

いまの自分は、いまの自分でしかない。
だから、いまの自分を受け入れることからはじめなきゃ、
何もはじまらない。
2019-01-24
善良な尼僧が質素な生活を送っていました。
所持品は少なく、住まいも洞窟の中でした。尼僧は毎朝、
近くの村に托鉢に行き、その日に食べる分だけを受けとりました。
1日のほとんど瞑想したり、学んだり、知っていることを
村人たちに教えたりして過ごしました。

ある日の朝、村から戻ると、
僧衣に穴があいていることに気づきました。
そこで小さな布きれを持ってきて穴を繕いました。
洞窟に住むネズミが、彼女の僧衣をかじるのが好きだったので、
繕うのはこれが初めてではありませんでした。
繕っている間、彼女は考えました。
もしネコがいればネズミはいなくなる。
そうすれば、わざわざ繕わなくてもすむ、と。

そこで翌日、彼女は村人たちに「ネコはいませんか?」と尋ね、
しつけのいい茶色いネコを譲ってもらいました。
ただし、そのネコを飼うためにエサの牛乳と魚が必要なり、
村人たちに「牛乳と魚を毎朝いただけませんか?」と頼みました。

しばらくして、彼女はこう考えました。
自分でウシを飼えば、牛乳をもらう必要はなくなる。
そこで、彼女は豊かな村人に、
「ウシをいただませんか?」と頼みました。
こうして彼女はウシを飼うようになりました。

すると今度はウシが食べる牧草が必要になりました。
そこで彼女は村人たちに言いました。
「牧草がほしいのですが」
それから2,3日後、尼僧は、もし自分に牧草地があれば、
村人たちに毎日牧草をねだる必要がなくなると考えました。
そこで彼女は牧草地を購入するお金をなんとか集めました。

でも、牧草地の手入れをしたり、毎朝、乳搾りをするのは
大変な作業でした。そこで考えました。
「自分の代わりに雑役をやってくれる少年がいれば助かる。
 少年には、かわりに「ためになる話」をしてやればいい」と。
村人たちはすぐに、貧しい家庭の「ためになる話」をしてやる
必要のある少年を一人選びました。

しかし今度は、少年の分も合わせて、
それまでの2倍の食べ物を、村人からもらわねばなくなりました。
さらには、少年の寝る小屋が必要となりました。
少年と尼僧が同じ洞窟内で眠るのは禁止されていましたから。

そこで、尼僧は、村人たちに、
少年のための小屋を建ててほしいと頼みました。
こうして尼僧は、ネズミを駆除するために、
それまでの倍の食べ物と小屋が必要になったのです。

(長くなりますので、下に続きます)
2019-01-23
演説の最中に、私は水の入ったグラスを持ち、
聴衆に向かってこう語りかけました。
「このグラスはどのくらい思いでしょうか?」
聴衆が何も言わないうちに、私はこう続けました。

「もし私がこのままグラスを持ち続ければ、
 5分後には腕がつらくなってくるでしょう。
 10分もすれば、かなりの痛みを感じることでしょう。
 そして15分後には苦しみを感じるでしょう。
 そんなことをしたら私は、愚かな僧侶ということになります。
 では、どうすればいいでしょうか?

 このグラスを重いと感じるようになる前に、
 1分間だけ、グラスを置けばいいのです。
 1分間だけ腕を休ませれば、私はまた楽々とグラスを
 持つことができるようになるのです。

 実はこれと同じことが、職場におけるストレスの元凶なのです。
 ストレスは、あなたがこなさなければならない仕事量にも、
 責任の重さも関係ありません。
 耐えがたい負担を感じる前に仕事を中断し、
 ほんのわずかでも休憩をすれば、ストレスなど生じないのです」
2019-01-22
こころがゆれるときがあります。
思いがけないことばやできごと、予定以外のこと。
自分の中にあるそれまでの「当たり前」や「知っていたこと」
と、ちがうものに出会ったとき、こころがゆれます。

こころがゆれると、ふと、
自分自身の力不足なのかもしれない、と思うときがあります。
しっかりしていれば、そんなふうにならないのではないか、と。
でも、ゆれないのがいいのではありません。
ゆれるのは、細やかさとつながることだからです。

繊細であれば、ささやかなことに気づくと同時に、
こころがゆれる場面も多くなります。
同じ風景を目にしても、
受けとるもの、感じることが人によってちがうように、
こころのフィルターの編み目は、それぞれちがうのです。
細やかであればあるほど、ちいさなものも見えますが、
その分、こころがゆれることも多くなります。

そう考えると、ゆれないのがいいのではなく、
ゆれたあと、自分をどう整えるか、なのでしょう。
ゆれてもいいということを理解し、細やかさを長所と捉え、
そこから、整えることをはじめてみます。
2019-01-21
かるい荷物にするか、重い荷物で歩いて行くのかは、
旅の道のりにずいぶんちがいが出てきます。
人は、旅だけでなく、日常でも何かを手にして生きています。
荷物の数や種類や形は、
その人の生き方ということばに置き換えられます。

歩くやすくしたいなら、荷物はかるく。
風通しをよくしたいなら、荷物は少なく。
できるだけ、かろやかにいられるように。

かろやかであれば、
何かを手にする機会がめぐってきたとき、
すっと手にすることができます。
予定が変わっても次へ行きやすく、
会いたい人に会いに行くこともできます。
整理もしやすく、探しものも少なくいられます。

何より旅そのものが続けやすい。
整えることは、かろやかであるため、
歩きやすく、風通しをよくするためです。
2019-01-18
深刻な状況にあるガンの患者さんや、家族に対して
「明るく前向きに」という言葉は酷ですよ。

人間はほんらい、
そんなに明るい存在じゃない。
悲しくて寂しいものだと思うんです。
だから、患者さんたちにいうんですよ。

「人間は悲しくて寂しいものだ、
 と、決めようじゃないか」と。(略)

その寂しさ、悲しさの原点に立って、
一歩ずつ、少しでも明るい方向に歩いていけたら
いいんじゃないかと思うんです。

無理に笑うこともなければ、
無理に泣く必要もない、ただ、あるがままにですね。
ときどき、あ~あ、と長いため息をつきながらね。
2019-01-17
アンチエイジングにとらわれている人は、
アンチエイジングに関心がない人と比べて、
自分が老いることやその先にある死が
何倍、何十倍も怖くて辛いに違いない。

忘れてはならないのは、
いくらアンチエイジングの努力をしたところで、
最終的に老いや死は避けることはできないということだ。
アンチエイジングで排除しようとする老いが
忍び寄ってきたときに、それをしなかった人よりずっと
みじめで情けない晩年を送らなければならない、
というのもつまらない話だ。

追い払おうとした老いに、
最終的には自分の首を絞められるようなことになる、
というのはなんだか悪い冗談のような。
2019-01-16
診察室に来るある患者さんは、写真に特化した
ソーシャルネットワークであるインスタグラムにはまっている。
写真だけで交流できるので、面白い写真を載せたりすると、
世界中の人から「いいね!」という評価が一斉に来たりする。

そうすると、
「今日は、南米や北欧の人から「いいね!」と言われました」
と嬉しそうに報告してくれる。
それが彼女の最大の生き甲斐になっているのだ。
当人がインスタグラムの活動によって、
引きこもり状態から抜け出せたのは歓迎すべきことなのだが、
思わぬ落とし穴が待っていた。

今度は、写真のネタ探しのために
行きたくないところへ行ったり
食べたくもないものを食べて写真を撮ったり、
そっちの活動に振り回されてクタクタになっているのである。

そんなしんどいならやめればすむ話だ。
傍から見れば本末転倒に思えるが、本人は自分への
「いいね!」の数が減っていくのが怖くてたまらず、
やめるにやめられない、のである。

自分に対する肯定的な感情をネットの世界で得ることは、
インスタントな手軽さがある。
だが、その反面、簡単にそれがひっくり返ってしまう不安と
ストレスが絶えず、裏側にくっついているのである。
2019-01-15
自分にとっての常識は、
必ずしも世間の常識ではないのです。

たとえば、今の若い人にとっては、連絡手段は
LINEやメッセンジャーを使うのが常識でしょう。
ですが、もっと上の世代ではガラケーのメールという方も
多いのですし、メール自体をまったく使わず、
連絡は必ず電話、という方もいます。

自分にとっての常識を前提に考えるのは、
失敗やトラブルのもとです。
2019-01-11
一般的に、言葉には、
それと対立する意味を持った言葉があります。
たとえば、「黒」には「白」。
「天」には「地」。
「一神教」には「多神教」などがあります。(略)

「自分の意見」が絶対的に正しいものではなく、
必ず対立する意見は存在する、と意識しておくことで、
聞き手からの反対意見にも対応しやすくなります。

ただ「Aが正しい」と言っているのではなく、
対立する主張BやCやDも比較検討した上で
「Aが正しい」と主張すれば、
聞き手もあなたの考え方に説得力を感じるでしょう。

自分の主観だけでなく、様々な角度から主張する。
それを「複眼的思考」と言います。
2019-01-10
「頑張っていても報われない」
こんなセリフを耳にすることがあります。
そんなことをいってしまう大きな理由として、
世間的な成功基準と自分の成功基準がシンクロしていない、
ということが挙げられます。

大抵の場合、世間的な成功基準が物差しになっているため、
「報われない」と思ってしまうのです。

そこで、あなたの物差しを、世間的な成功基準から
自分自身の成功基準へと変えるために、
1日の中に10個、あるいは20個の、
あなたが設定した目標の小さな成功体験を積み重ねる
ということをしてみてください。
それは、ごく小さな目標でも構いません。
そのようなことが、やがて成功脳を
どんどん進化させていくからです。
2019-01-09
「俺だってそのぐらいのつらさは耐えてきたんだ。
 この程度のことを言われたくらいで文句を言うな」
なんてことを言われたことがある人もいるのではないか。

この言葉が仮に正しいとすれば、
苦しい思いをした人は、
同様に他者を苦しめていいということになる。
そうやってお互いに苦しめ合っている社会は、
つらいことばかりが増え、
どんどん生きづらい社会になっていくだろう。
2019-01-08
不安という感情は、
危険に対する敏感な予知情報である。
それが正しく利用されれば役に立つが、
無視されたり、抑圧されると、その敏感さゆえに
システム全体に混乱をもたらすことになる。(略)

不安を抑えるのではなく、
「不安はあるんだ」と認識できると、
不安は小さくなる。
正確に認識できると、認識の制限が解除される。
認識の拡大が心が楽になる。
そして、不安を制限する小さい心からはなれる。
2019-01-07
心理療法の基本は「承認」にあると、私は考えています。
その人の苦労を認める。
まじめにがんばってきたのであれば、
「よくがんばりましたね」と言ってほしいのが人間の常です。
第三者に言われること、とくに一定の資格を持ち、
社会的発言力のある人間から認められると
その効果は大きいのです。

人間はいつでも、自分を必要な人間だと
認めてほしい生き物なのです。
だから、あなたがもし、
会社の上司や、学校の先輩の立場にあるなら、
あるいは年上で相談を受ける側なら、話の終わりに、
きちんと「たいへんだったんだね」と言うことです。
相手のことをきちんと承認しておくだけで、
ずいぶん違いが出るものです。

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ネコ好きさんにおすすめの本。

じいちゃんとタマの関係が
なんともよく特に1.2は
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