2006-01-31
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もともと日本人は100点満点を
目指そうという傾向が強いのですが、
複雑な人間社会で満点をとることは不可能です。
じつは、人間がすることはすべて
78点が最高なのです。
これが「78点の法則」といって、
「78対22の定理」「ユダヤの法則」とも
よばれている真理です。
最高にうまくできたと思っても、
現実には78%しか達成していません。
いつも22%は残ってしまいます。
でも、それでいいのです。
残った22%は、次のステップで
解決すればいいからです。
22%の改善点があるから、
未来は明るいのです。
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2006-01-30
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夢の種は、どこにも売っていない。
自分で決めれば、それが
「理想的な夢の種」になる。
友人や両親、先生は目標を
示してくれるかもしれないが、
「どの夢が自分にとって1番いいのか?」
という問いに答えられるのは、
あなたしかいないのだ。
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2006-01-29
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「もうこれで絶対に安心、大丈夫」
そう思うところから、
容易に人生はくつがえるし、
「もう絶対絶命、何があっても
立ち直れない」
そう思うところから、
人生は奇跡的な出発をとげることが
多いのです。
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2006-01-28
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ストレスが命の泉だなんていう人は、
いないでしょう。
休息こそがあなたの命の泉です。
休息があってこそ
いい仕事ができるのです。
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2006-01-27
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ひとは、心の愛やテレビドラマに出てくる
格好いい愛などには、心をひかれないものです。
たとえ格好が悪くても、いくらぶざまでも、
まっすぐな本心が見えると、心を動かされます。
愛というのは、そんな小さな出来事が
積み重ねられているに違いありません。
おそらく人間は、大げさな愛などは
いつまでたってもよくわからず、
ただポツンと灯る小さな愛の出来事を、
後生大事に胸のなかに
しまっておこうとするものなのでしょう。
だからひとは、小さな愛に弱いのです。
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2006-01-26
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「他人の重荷を軽くできる人は、
みな有能な人である」(略)
あなたは他人が抱えている人生の重荷を
軽くしているだろうか。
他人の重荷を軽くすることは、
自分がよりポジティブに生きていくのにも
たいへん役に立つ。
あなたの助けを必要としている人を見つけて、
その人の重荷を軽くしよう。
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2006-01-25
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ツボを心得ていない人は、ただがむしゃらに
働く傾向があります。
言われたことを全部やりさえすれば、
それで文句を言われないと思っているのです。
そしてそういう人は、ほんとうに
なんでもかんでもやってしまいます。
でも、いちばん肝心なツボだけは
押さえていないことが多いのです。
あまりに忙しすぎて、何がいちばん肝心なことかを
考えるゆとりがないのです。(略)
なんでもかんでもただがむしゃらに
やればいいというものではありません。
物事にはすべてツボがあります。
一押しですべてが動くようなツボを見つけるのです。
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2006-01-24
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「謝るのは男の名折れ」
「自分の非を認めるのは、ひどい恥辱だ」
などといった過去の迷信を引きずっていては、
人はついてこないし、
世間からそっぽを向かれる。
まして、国際社会で通用するはずもない。(略)
ビジネスマンの中にも、
「謝罪すれば信用を失う」
「ここで詫びれば会社の権威を失墜させることになる」
と、旧態依然の考えにしばられている人がいる。
彼らは、
「詫びるべき時にきっちりと詫びなければ、
決定的に信用を失う」ことに気づいていないのだ」
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2006-01-23
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「だめな叱り方」
●「だめ、だめ」しか言わない
●言い訳も聞かずに頭ごなしに叱る
●なんで叱るのか理由を言わない
●くどくどと同じことを繰り返す
●どうでもいいことを針小棒大に叱る
●「わかったか!」のダメ押しを言う
●行為を叱らないで人柄・人格を叱る
●権威をカサに着て叱る
●過去のことを持ちだして叱る
●時を場所を考えないで叱る
●自分の好みに合わない人だけを叱る
●自分の保身のために叱る
●叱った後も不機嫌な顔をしている
●叱りっぱなしで後のフォローをしない
●自分の感情処理の道具にして叱る
(●は見やすくするために付記)
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2006-01-22
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洋菓子で有名なボンボヌールの近藤社長さんから、
昭和天皇の名侍従長だった入江相政(すけまさ)さんの
話を聞いた。(略)
宴がたけなわになると、
侍従長はカセットを取り出して、必ず録音なさる。
何のためか?
周りの人は気にしながらも、だれもそれを知らなかった。
ある晩、たまたま近藤社長がご自宅までお供をした。
そこで初めて訳を知った。
奥さんは目が不自由だった。
しかも年老いてからの失明だ。
その奥さんに、
「今晩はこれこれ、こんな人たちと、こんな話をした」
と聞かせるためだったのだ。
奥さんが、そのテープを嬉しそうにお聞きになる。
その夫婦の姿を見て、社長はただただ涙したという。
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2006-01-21
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問題のひとつやふたつ、
100や200はもったまま、
散歩もできるし、ご飯も食べられる。
笑うことも楽しむことも、
失恋することもできる。
10年か100年もすれば、
たいてい、
どうでもいいことになります。
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2006-01-20
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「どのくらいまで相手を思いやればいいのだろう」
女はいつでもどこでも気をつかいすぎている。
私はこれを「行きすぎた気配り」と呼んでいる。
率直さや公平さ、支援も必要だが、
「行きすぎた気配り」は無用。
自分からあれこれやたらに気を使う人は
けっきょく軽んじられる。
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2006-01-19
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生まれ育った環境、時代、両親、家族、
学校、社会、制度、政府、雇い主、仲間の圧力、
友人や配偶者の評価など、
実にさまざまな外部の力が
自己像形成に影響している。
しかし、
現在の自分がおかれている境遇、失敗したのも、
努力できないのも外部のせいだとするなら、
「自分の人生は行き止まり」だと
言っているのと同じことである。
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2006-01-18
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かつての最良の解決策が、
現在では
問題点になっていることに気づく
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2006-01-17
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私たちは知っているのです。
「本当に大切なもの」
は何かということを。
その大切なものを、自分の中で
大切にしていきたいものです。
それが自然な表情となってあらわれた時、
私たちの個別の魅力が輝くと思うのです。
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2006-01-16
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「君の毎日投げる姿を見たい」
大リーグで当時先発として活躍していた投手に対し、
力不足と判断した球団が、
「抑え投手」に回るように告げたときのセリフです。
先発からの降格は、投手として屈辱的なことですが、
告げられた投手は
「何かいい気分になった」と言います。
向上心を失わせることなく降格を言い渡すことは
難しいことですが、ユーモア感覚によって、
救われることがあるということです。
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2006-01-15
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コミュニケーションに
痛みや不安が伴うのは、
当たり前じゃないですか!
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2006-01-14
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意地をはれば張れば張るほど、
私たちは苦しみます。
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2006-01-13
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考え方を変えなければ、人間を変えることはできない。
たくさんの人がこんな勘違いをして
いるのではないでしょうか。
ツイてなかったり、自信のない自分を変えようと思って、
それまでの考え方を変えてしまう人がいます。
でも、人は自分の考え方を変えても、
人間そのものを変えることはできません。
人間の波動(※)は言葉なのだから、
声に出している言葉を変えない限り、
人間の行動や考え方を変えることはできないのです。
言葉に出しているうちに自分の波動が変わってきます。
すると、自分に対するまわりの見る目が変わってきます。
しばらくすると、だんだん自分の行動も変わってくるのです。
(※波動とは、人間が発している目に見えない
パワー、影響力のようなもの)
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2006-01-12
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わたしの起こしたい奇跡、
それは、空を飛ぶことでも
海の上を歩くことでもない。
わたしのそばにいるだけで
その人のこころがやすらぎ、
穏やかになること。
これまで、何人かの人が
わたしにそうしてくれたように。
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2006-01-11
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人と話をする場合に、自分がこれからする話を、
相手が受け入れやすい状況にあるかどうか、
しっかりと見極めることが大切になってきます。
聞き手の都合や生理、心理を考慮に入れて、
話すということは、相手の立場を重んじることであり、
それは思いやりに通じます。(略)
何はともあれ、してはいけないことは、
一方的にこっちの都合で話すこと。
相手のことを考えずに自分の都合ばかりで進めると、
いずれは報いを受けることになります。
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2006-01-10
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どんなに力のある人でも、
どんなに自主独立の生き方をしている人でも、
自分だけではどうにもならない状況
というものが必ずある。
人にアドバイスをしてもらったり、
人に支えてもらったり、
人に助けてもらったり
しなければならないときが絶対にあるのだ。
人に助けを求めることは、一見弱さの
象徴のようにも思われるかもしれないが、
そんなことは決してない。(略)
つまり、助けが必要なときに
誰かに助けを求められるのは、
自我の防衛機能が発達している証拠であり、
その人が弱いからではなく、強いからこそ、
できることなのだ。
自分を守る強さを持っているということなのである。
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2006-01-09
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あなたは正しい。
あなたの思っていることも正しい。
だから?
コミュニケーションから、
裁判官と弁護士をなくしなさい。
もちろん、検事も。
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2006-01-08
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あなたの心は庭のようなもの。
耕されることも、
野放しにされることもあるが、
そこからは必ず何かが生えてくる。
ただし、野放しにされた庭から生えてくるのは、
何の役にも立たない雑草だけです。
あなたがもし良い人生を生きたいのなら、
庭造りの名人が雑草を取り除き、
その後にきれいな草花の種をまくように、
自分の心の庭から悪い考えを取り除き、
そこに良い考えを植え付けなくてはなりません。
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2006-01-07
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いつもややおおめに
優しさを示すことが、
幸福な対人関係を
永続させる基礎である。
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2006-01-06
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「知っている」から「やれる」わけではない。
泳ぎについて100冊の本を読んでも、
あなたは泳げるだろうか?
実際に水に入り泳ぎを練習しない限り、
泳げないのは明白である。
人は往々にして、「知っていること」を
「やれる」と錯覚してしまうのである。(略)
「知行一致」という言葉がある。
知ることは行うことであり、
行うことが知ることである。
すなわち、知と行が一体となった時、
本当の意味で知ったということになる。
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2006-01-05
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人間の脳は、ひとたびある目標が強く
インプットされると、
その目標を達成しようと動き始めます。
すると、突然にそれまで見過ごしていた
チャンスが目に入ってくるようになりますし、
聞こえなかったものも聞こえるようになってきます。
それは、脳内にあるRAS(Reticular Activating System)と
いう神経系がはたらき、意識空間が
驚くほど広がるからです。(略)
何かを心から求めたり必要としていると、
本人が意識するしないにかかわらず、
脳が自動的に情報を収集してきてくれます。
だから、夢をかなえる上で、この脳内の
RASのはたらきを存分に活用しない手はありません。
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2006-01-04
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人生にはあなた宛のメッセージが
いっぱい隠れています。
メッセージはさまざざな形でやってきます。
思いもよらぬ包みにくるまれていることもあるし、
届く頻度はてんでバラバラ。(略)
あらゆるメッセージを、
そのやってくる時期や形態にかかわらず、
残らずすべて受けとめられるよう、
心の窓を精一杯広げること、
あらゆる物事やあらゆる人間に体現されている
真理を読み取れるよう、
心をいっぱいに開け放つこと…
それはわたしたち人間が授かった
神聖なチャンスです。
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2006-01-03
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どういうわけか、友達や単なる知り合いを
ありのままに受け入れることは
それほどむずかしいことではないが、
それが身近な人になると、
なかなかそうはいかない。
相手を心にかければかけるほど、
その人を傷つけたり、他の人と比較したり
してしまいがちだ。
愛する人をりっぱな人間にしたい、
苦しみから守ってやりたいと思うあまり
その人を一人前の人間として
扱うことができないのである。
友人にたいしてのほうが、
信頼感や寛大な心や思いやりの
気持ちをもてるのはたしかだ。
しかし、愛しあうためには、
こういったものこそが必要なのである。
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2006-01-02
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ほほ笑みは愛。
ほほ笑みは心を動かすのです。
だからこそ、ほほ笑みにはほほ笑みが
返ってくれば幸せです。
ほほ笑みとほほ笑みが行き来するほどに、
幸せはもっとふくらみます。
ほほ笑みは、ほほ笑む人自身を心地よくする。
もちろん、ほほ笑みを目にするのも心地よい。
そのほほ笑みに、さらに周囲のほほ笑みが
加われば、もっと心地よく、
もっとふっくらと愛がふくらむ。
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2006-01-01
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仕事でもスポーツでも、上達の基本は
継続して行うことであろう。
すぐにあきらめてはしまっては、成長できない。
たんたんと続けることが上達のためには近道と
いえるのではないだろうか。
つまり何ごとも三日坊主では、
充分な力がつかないのだ。
しかし、一方でこんな考え方もある。
たとえ三日坊主でも「何もしないよりは、まし」
という考え方である。
一日でも二日でも、とにかく実際に何かをやった実績。
それだけでも、自分にとってプラスに
なるという考え方である。(略)
実際、一日でも二日でも、何かをすれば、
それなりに得るものはある。
「三日坊主で終わるかも知れない」と思っていても
一生の仕事になった例はいくらでもある。
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